大堀相馬焼 錨屋窯 十三代目
伝統工芸士
山田 慎一YAMADA, Shinichi
経済産業大臣の指定伝統的工芸品 大堀相馬焼 錨屋窯 十三代目の窯元。
手作りならではの温かみのある作品をお届けすることを目指し、大堀相馬焼の魅力を伝えていきたいと思っています。
錨屋窯(いかりやがま)は江戸時代より現在まで代々続く「大堀相馬焼」の窯元です。
製陶業以前は奥州相馬領大堀村(現在の浪江町大堀)にて宿屋を営んでおり、当時の相馬中村藩主が立ち寄られた際に「此の地に如何なる事があっても流される事なく留まれるように」と船の錨(碇)から「錨屋」の屋号を戴いたと伝わっております。
創業より約330年、浪江町大堀の地で焼物づくりを続けてきましたが、2011年の東日本大震災に起きた原発事故により白河市に避難。多くの人たちに助けられて2013年に大堀相馬焼作りを本格再開し現在に至ります。商品をお渡しして終わりなのではなく、日常の風景や大切な記憶の一部になることを想いながら、焼物づくりに取り組んでいきます。
大堀相馬焼の歴史
元禄3年(西暦1690年 江戸時代・徳川綱吉の時代)奥州相馬領大堀村(現在の浪江町大堀)の郷士である半谷休閑の下僕の左馬が陶器づくりを志し、相馬中村城下にて相馬藩窯(田代窯)の陶工としてその技法の習得を目指しました。後に郷里の大堀に帰り、隣村の井手村美森で陶土を発見して茶碗の焼成に成功したのが、大堀相馬焼の始まりと伝わります。
江戸末期には120戸の窯元を擁し、東北一の大窯業地帯となりました。その後、明治の廃藩置県や昭和の戦争などを乗り越えて、1978年には国の伝統的工芸品の指定を受けました。
東日本大震災前は23軒の窯元が焼物づくりに取り組んでおりましたが、原発事故で一時生産が中断。現在は約半数の窯元が生産を再開して、伝統を絶やさぬように努力を続けています。